2014年06月17日

ランナウェイ・ブルース

またまた度肝を抜かれる名作に出会った。
何これ?

誰にでも名作であることが理解できるけど、具体的にどう良いのかは説明しにくい、そんな映画ではないかと。

絶妙とか完璧という言葉に収まりきらない不思議な良さ。
とにかく端的なのに深い。新たな映画言語なのではないかと思う。

ストーリーは単純。特徴的な演出もない。ように思える。が、異常に淡白。つまり、実は特徴的。
エピソードごとの演出が、本来もう少し劇的なはずが淡白すぎて拍子抜けする。
鬼気迫る拍子抜け感。
いや、拍子抜けって、もちろんそれが新たな感覚で胸に迫るってこと。

それぞれのエピソードが端的で判りやすい。「端的で判りやすい」なんてヘタすると貶し言葉だけど、ストーリー自体も端的で判りやすいし、シーンごとのメリハリもないから、一貫している。つまり、美しい。
その静謐さが・・・いや、静謐なんて言葉に収まりきらない不思議さに、いわゆる映画的感動が溢れさせられる。

なんだかマヌケな文章で伝わらないでしょう。是非観て欲しい。
大傑作。なぜこの映画をかける映画館がこんなにも少ないの?(以下公式サイト参照。たった12館。はあ?)

因みに、テーマ性では同様の「ネブラスカ」や「あなたを抱きしめる日まで」や「とらわれて夏」や「ディス/コネクト」や「ブルージャスミン」や「ある過去の行方」といった最近の傑作と見比べるのも良い。
いずれもテーマに沿った確実な演出によってテーマが浮き彫りにされるパターン。それぞれに最も特筆すべき素晴らしい点が異なるのに一括りにするのは失礼かもしれないが。
で、そんな作品の中から群を抜いて「新言語」感があったのがこの「ランナウェイ・ブルース」。また追いかけなければならない監督が増えた。ポルスキー兄弟。
posted by ybj at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

キリン「澄みきり」のCMには中島哲也サッポロ「黒ラベル」CMへのオマージュ部分がある

タイトル通り。別に「同じ豊川悦司が出ているから」で言ってるわけではない。当然ながら。
ラストのゴールキーパーとして防げずボールをゴールさせられるスローモーションは明らかに「黒ラベル」の温泉卓球編を思わせる。
いわば、元々黒ラベルのCMキャラだった俳優を使う上で、かの名作CMに目配せをしないでいられるわけがない、という判断でなされたのでしょう。
いいじゃないですか。澄みきり、飲んであげたくなりました。

って、ネットで検索しても誰もそのことを(気付いたって)指摘する書き込みがない。
どゆこと?みなさん節穴?みなさん乱発されるビール系飲料に辟易?
って誰が興味あんねん、こんな話、ってこと?

CMは資本主義社会においては最も大事ですよ。
posted by ybj at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | CM | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MONSTERZ モンスターズ を観て中田秀夫ってダメだな、と。

中田秀夫は「クロユリ団地」以外観ていない。微妙に評価されることが多いので「クロユリ団地」を初めて観たら、「人物演出甘い系の監督だけどホラー演出はたしかに手堅いだけでなく面白い」と思った。よく絶賛される最後の対決シーンは特に素晴らしい(前田敦子の素晴らしさに引っ張られているだけにも思えなくもないが)。ただ、ホラーだから仕方ないのかな、と冗長さには辟易していた。
で、今回の「MONSTERZ モンスターズ」。何これ?元の韓国映画を観てないけど、話もつまらない。構成も悪すぎて「この映画が何を訴えたいのか(つまりテーマ)」がさっぱり判らない。あえて意味深に判りにくくしているのであろうラストカットもおかげで本当に意味が判らない。
そんなことよりも、通常はひとつはあるはずの魅力が、この映画には一切ない。
ベースとなっている人物演出の甘さが、ただただ不出来映画の気持ち悪さにしかなっていないのである。

本来、阪本順治や金子修介や犬童一心など枚挙にいとまがない「人物演出甘い系」の優れた監督は皆、それを補うというよりもそれが下地となって特筆すべき魅力を創出する。
台詞や間や台詞回しにリアリティが全くないのに、そのファンタスティックさが映画的魅力を高める結果をもたらす、というもの。
阪本順治ならテーマをより重厚にするための装置、金子修介ならストレートにファンタスティック性を高める事自体、犬童一心なら人物演出の非リアリティが徐々に魅力となる事で逆に人物自体のリアリティに昇華する、というようにそれぞれ「非リアリティ」に役割がある。
わかりにくいのが犬童一心だが、劇場長編デビュー作(?)の「二人が喋ってる」でよく「リアルだ」などの評価を耳にしたが、あくまでも本当のトゥナイトの普段のテレビのトークのリアルに比べると雲泥の差である。当たり前と思ってはいけない。それを「リアルだ」というのはおかしいといえる。でもおかしくない。それは、台詞や間や台詞回しが全くリアルでないのに観終わる頃には「それが」リアルに思えるところである。トゥナイトをよく知り大ファンである私を持ってしても別物と思うことが可能なのである。もちろんこの「二人が喋ってる」はミュージカルである点からもそういう感覚になれやすいとも言えるが、他の犬童作品を観て思うのは、ミュージカル要素なしでも「その甘い人物演出自体がきっちりファンタスティックな人物として魅力溢れる事に直結する」という点である。

もちろん私の趣味としてはそもそもリアリズムが高い監督(山下敦弘など)が好きで、もしくはリアリティと非リアリティのメリハリが効いている監督(言わずもがな代表は小津安)が極度に好き。
杉村春子や東野英治郎や中村鴈治郎や浪花千栄子のリアリティに対し、笠智衆や中村伸郎や佐田啓二ら多くの登場人物の非リアリティ、という絶妙のアンサンブルというよりも役割分担。
多くの作品の主役である原節子は非リアリティとリアリティを場面によって使い分けられることによってクライマックス(のリアリティ)が異常に際立つという仕組み。恐ろしい。巧妙過ぎる。

毎度おなじみ小津安礼賛はともかく、この「MONSTERZ モンスターズ」は繰り返すが何も魅力がない。
どうしてこんなつまらない映画が作れるのか不思議。
相変わらずホラーチックな場面の演出は手堅い。がせいぜいそれだけ。特筆すべきレベルでもない。

「ハリウッド監督学入門」なんて面白そうなタイトルの映画も作ってるけど、話を変えればハリウッドの映画はこんなハズレを作らない。おそらく超大人数の分業で粗がどうしても無くなるのだと思う。
こんな脚本のバランスが悪い粗だらけの映画は久々に観た。
(例えば文化人類学と遺伝子学をやってる女性が意味ありそうで結果必要ない役柄だった、とか、自身が知らずに父を突き落として殺していたことに気付き愕然とする石原さとみが次のシーンで気持ちよさそうな朝で気持ちよさそうに目覚める、とか。笑わせようとしてる?)
Wikipediaに「蓮實重彦の授業で映画に開眼した」とあるけど、本当?勘違い開眼なのでしょうね。

あ、ひどく書きすぎたかなぁ。いや、才能の無さを痛感させるひどい映画だった。どんな低予算でも今後はハリウッド的に分業しましょうね。特に脚本は絶対他の人に任せないと。いや、やっぱ監督自体すべきじゃないな。
posted by ybj at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
最近のコメント
T100TAのバッテリ消耗問題の解消
 ⇒ ybj (08/28)
 ⇒ (08/28)
 ⇒ ybj (08/19)
 ⇒ (08/19)
IS11Tでスクリーンキャプチャ
 ⇒ ybj (08/02)
 ⇒ Accessories For Shoes (08/01)
ロメール四季4部作を観て
 ⇒ ybj (07/07)
 ⇒ ヒデヨシ (07/06)