2012年07月05日

ロメール四季4部作を観て

いやぁ、やっぱり良かった。ファンなので。
ゴダールも好きだけど、やっぱロメール、っていう人なので。ワタシは。

「恋の秋」と「冬物語」を未鑑賞だったと思っていたけど、冬物語は観ていた。私の暗黒時代だったからだと思うが、睡眠不足で8割眠っていたパターン。
基本的に映画で眠るのは好きで、「眠れる映画は良い映画」という持論がある。そう言う人結構いるけど。
で、今回は体調を整えて、久々の「春のソナタ」や「夏物語」と併せて、全てほぼ一睡もせずむちゃくちゃ没頭して観た。

本当に豊な気持ちになる。
ウディ・アレンもそうだけど、小難しい会話劇ってのは、自身も参加して考えこむから非常にレベルが上がった気になれる。人間のレベルが。ま、その気になるだけで、いっときの豊な経験に過ぎないだろうけど、それが大事。

あ、主題は「京都みなみ会館」による特別上映。素晴らしい企画。無論、珍しさやアイデア性という意味ではなく、ありがちなのにない、という希少性。

春のソナタ
「隣に座っても?」「手を握っても?」「キスしても?」
これは映画史に残る名シーンの一つでしょう。少なくとも私の恋のバイブルです。
こんな風に迫りたい。ドキドキする。たまらん興奮。
春の新しい環境の序章。

冬物語
珍しく女性を一人しか描いていない。かつ、その女性が異常に魅力的。女の代表。
だからものすごく楽しく、入れ込んで観てしまう。
いかに女の代表かというと、ひどい自分勝手で、それを自覚して申し訳なくは思っている、という。
因みに私はそんな女性がとても好き。一緒に生活はできないし、まず好かれないけど。
冬でも豊かな出来事が・・・。

夏物語
自身を卑下しつつも、3人の女性との関係に一喜一憂し、主体性無く言い訳ばかりの男性の物語。
このテーマだけでも最高に楽しい。
で、フランスのバカンスの海。もう言う事無し。るんるん。
一夏の充実した恋。

恋の秋
上記3つに比べると、特徴的な楽しい要素はない。が、後期ロメールのサスペンス性がこの4作の中ではやはり(最後期作だから)最も顕著で、客観的にどうなるのかが楽しめる。実はロメールの会話性とサスペンスフルな物語性が意外とマッチする、という。意外でもないかもしれないが。
尽くされる議論は物語を豊にする、というところか。
それまでのどこか浮世離れした哲学的議論ではなく、この「恋の秋」では、直面する他愛のない問題に関する議論が大半になる。(哲学教師は登場するが、意外と用語を使わず目の前の恋の解決に現実的)
ロメールの映画はいつも教訓じみている(このシリーズ以外に「六つの教訓話」シリーズというのもあるとおり)が、結末(結論)は決して押し付けがましくない。むしろどちらに転ぶかは「その人・その時・その環境」次第であることを示唆している。
ここでも多分に漏れず、「人の恋路に世話し過ぎるのは・・・」(慣用句が思い浮かばなかった)という話のようでいて、結末は・・・。
秋の豊かで楽しい企み。

以上、こう並べると冬物語だけが冬らしくないといえば冬らしくないか。いや、「自立して耐えていると良いことが・・・」という意味では「冬の寒さに耐えていれば春には」というのと同じか。素晴らしいのは、物語の終わりが正月である点。まだ冬本番なのに温かな出来事、という。
スマートに説明できてないな。

ところで、さきほど「春のソナタ」で検索すると、上位に「会話ばかりで小難しいから敬遠する。会話よりも映像が映画。」的なことを述べているページがあったが、大いに反論したい。そんなのは勝手な決め付けでしかない。いろんな映画があって良い。悪い映画だという根拠が弱過ぎる。で、「『超越的と超越論的』というものの違いを理解できる人がどれだけいるのか?」なんて仰ってるが、そんなの全く理解せずに楽しめるようになっている。いつもロメール(ウディ・アレンもそうだが)は、哲学を語る人を滑稽に描いている。このシーンでは、表面的に哲学をよく知っている女性が、虚栄心のために判ってもいないことを説明しようとして詰まる、という様子を描いていて、哲学教師の女性がサラリと解説してしまうことで滑稽、となる。そのことは丁寧にも、虚栄心の女性と対立する女性が後でその状況を嘲ることで説明もされている。
ここまで親切なこの程度のことが感じ取れない人には映画を語って欲しくないな、と言うとこれもエゴか。というかこのレベルのことをわざわざあげつらうのもあまり見上げたことではないでしょう。が、つい。上位で調子乗ってそうだし、影響受けてる人も僅かながら居そうだし。糾弾糾弾。

ところで、ロメールは会話の描写によりリアリティを実現しているが、それ以外の部分をご都合主義的に簡単に済ませてしまう点が潔く心地良い。(昔トレンディドラマなどでからかわれた「手を上げるとすぐタクシーが止まる」とかっていう、例の。)
あまりにリアリティとフィクションのメリハリが効きすぎてて、それが意図的だからコミカル。「そんなんどうでも良い。時間の無駄。」って言ってそう。
ウディ・アレンもそうだったと思う。
ウディ・アレンとロメールの違いは、有名な俳優にある程度クローズアップする(ウディ・アレン)のとあまり有名じゃない俳優を引きで捉えるのと、かな。純粋に会話でリアリティを表現するウディ・アレンに対して、引きや固定でリアリティを臨場感に高めている(観客に「その場で客観する第三者」という感覚を与えてくれる)ロメール。
リアリティを追求する上での"結果として"、引き・固定・長回しになってしまう、という感じ。溝口健二のような長回し(ダイナミズム)ありきの長回しではない、という。無論どちらが優れているとかではなく、それも素晴らしいのだけど。
それにしてもよくあんな自然な演技が撮れるなぁ、と思う。演劇的。で、自然。特にイチャイチャするシーン。ありえんぐらいリアル。

ここに宣言する。
ジャック・ロジエとエリック・ロメールとウディ・アレンが好きだ!他にもいっぱい好きだけど。
諏訪敦彦や初期の大谷健太郎も観たくなって来たな。
posted by ybj at 17:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。エリック・ロメールは『緑の光線』『海辺のポリーヌ』『クレールの膝』とかの夏の光のバカンスものが好きだな。いつでも何度でも観てみたくなる監督です。

カサヴェテスとかジャック・ロジエも同じですね。画面のなかの人たちが息づいているというか、会いに行きたくなるというか・・・。映像にいろんな要素が詰まっている感じがしますね。
Posted by ヒデヨシ at 2012年07月06日 11:16
ヒデヨシさん、コメントありがとうございます。
無駄に長い拙文を美しい表現で補足いただき、感激です。
本当に一々ヒデヨシさんの趣味・言葉には完全共感させられます。
今後とも宜しくお願いします。
Posted by ybj at 2012年07月07日 10:14
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