中田秀夫は「クロユリ団地」以外観ていない。微妙に評価されることが多いので「クロユリ団地」を初めて観たら、「人物演出甘い系の監督だけどホラー演出はたしかに手堅いだけでなく面白い」と思った。よく絶賛される最後の対決シーンは特に素晴らしい(前田敦子の素晴らしさに引っ張られているだけにも思えなくもないが)。ただ、ホラーだから仕方ないのかな、と冗長さには辟易していた。
で、今回の「MONSTERZ モンスターズ」。何これ?元の韓国映画を観てないけど、話もつまらない。構成も悪すぎて「この映画が何を訴えたいのか(つまりテーマ)」がさっぱり判らない。あえて意味深に判りにくくしているのであろうラストカットもおかげで本当に意味が判らない。
そんなことよりも、通常はひとつはあるはずの魅力が、この映画には一切ない。
ベースとなっている人物演出の甘さが、ただただ不出来映画の気持ち悪さにしかなっていないのである。
本来、阪本順治や金子修介や犬童一心など枚挙にいとまがない「人物演出甘い系」の優れた監督は皆、それを補うというよりもそれが下地となって特筆すべき魅力を創出する。
台詞や間や台詞回しにリアリティが全くないのに、そのファンタスティックさが映画的魅力を高める結果をもたらす、というもの。
阪本順治ならテーマをより重厚にするための装置、金子修介ならストレートにファンタスティック性を高める事自体、犬童一心なら人物演出の非リアリティが徐々に魅力となる事で逆に人物自体のリアリティに昇華する、というようにそれぞれ「非リアリティ」に役割がある。
わかりにくいのが犬童一心だが、劇場長編デビュー作(?)の「二人が喋ってる」でよく「リアルだ」などの評価を耳にしたが、あくまでも本当のトゥナイトの普段のテレビのトークのリアルに比べると雲泥の差である。当たり前と思ってはいけない。それを「リアルだ」というのはおかしいといえる。でもおかしくない。それは、台詞や間や台詞回しが全くリアルでないのに観終わる頃には「それが」リアルに思えるところである。トゥナイトをよく知り大ファンである私を持ってしても別物と思うことが可能なのである。もちろんこの「二人が喋ってる」はミュージカルである点からもそういう感覚になれやすいとも言えるが、他の犬童作品を観て思うのは、ミュージカル要素なしでも「その甘い人物演出自体がきっちりファンタスティックな人物として魅力溢れる事に直結する」という点である。
もちろん私の趣味としてはそもそもリアリズムが高い監督(山下敦弘など)が好きで、もしくはリアリティと非リアリティのメリハリが効いている監督(言わずもがな代表は小津安)が極度に好き。
杉村春子や東野英治郎や中村鴈治郎や浪花千栄子のリアリティに対し、笠智衆や中村伸郎や佐田啓二ら多くの登場人物の非リアリティ、という絶妙のアンサンブルというよりも役割分担。
多くの作品の主役である原節子は非リアリティとリアリティを場面によって使い分けられることによってクライマックス(のリアリティ)が異常に際立つという仕組み。恐ろしい。巧妙過ぎる。
毎度おなじみ小津安礼賛はともかく、この「MONSTERZ モンスターズ」は繰り返すが何も魅力がない。
どうしてこんなつまらない映画が作れるのか不思議。
相変わらずホラーチックな場面の演出は手堅い。がせいぜいそれだけ。特筆すべきレベルでもない。
「ハリウッド監督学入門」なんて面白そうなタイトルの映画も作ってるけど、話を変えればハリウッドの映画はこんなハズレを作らない。おそらく超大人数の分業で粗がどうしても無くなるのだと思う。
こんな脚本のバランスが悪い粗だらけの映画は久々に観た。
(例えば文化人類学と遺伝子学をやってる女性が意味ありそうで結果必要ない役柄だった、とか、自身が知らずに父を突き落として殺していたことに気付き愕然とする石原さとみが次のシーンで気持ちよさそうな朝で気持ちよさそうに目覚める、とか。笑わせようとしてる?)
Wikipediaに「蓮實重彦の授業で映画に開眼した」とあるけど、本当?勘違い開眼なのでしょうね。
あ、ひどく書きすぎたかなぁ。いや、才能の無さを痛感させるひどい映画だった。どんな低予算でも今後はハリウッド的に分業しましょうね。特に脚本は絶対他の人に任せないと。いや、やっぱ監督自体すべきじゃないな。